森の奥停留場の制作を終えて


とても長い記事ですが、最後までお読みいただければ幸いです。
今作の「森の奥停留場」制作を取りまとめました、田野です。

コミックマーケットも終わり、当初予定していた頒布数を大きく超え、
皆様のお手にとって頂けたことをとても光栄に、嬉しく思います。
また、制作に関わって頂けました方々には心から感謝いたしております。
本当にありがとうございました。

いつもは砕けた雰囲気で制作についてお伝えしております本ブログですが、
今回はゴルゴンゾーラの代表として、作品の取りまとめとして、
僕が森の奥停留場を通じて感じたことなどを書き述べます。

・スタジオゴルゴンゾーラについて
スタジオゴルゴンゾーラは、アニメーションというものに挑んでみたいという一心から生まれたものです。今から4年ほど前に初めて「アニメをつくろうと思う」といって制作スタッフを集めた時、本当に出来上がるのかと心配したものです。

先ほど「4年」と申しましたが、実際にアニメーション制作に取り組んだのは2年にも満たない期間だけです。
はじめの2年間は「絵がかけない」「実際に取り組むのが怖い」「具体的に何をすればよいのか分からない」といった実にくだらない理由でアニメーション制作にとりかかることもなく、過ごしておりました。漫画を書いて、ただ満足していました。
自分ができること(その当時は「絵が描ける」と自負していました)だけに取り組んでいるときは、それは心地の良いものです。自分がなんでも出来るといった、そういう思いあがりにひたっておりました。それは当然です、自分が確実に取り組めることだけをしておけば、まず失敗はありません。

その心地の良さに、かけがえの無い2年をふいにしてしまったことは、実に後悔にたえません。
その2年間があれば、どんなに良いものができたでしょうか。

全くもって私事になりますが、僕の父はつい完成2ヶ月前に亡くなりました。
何も知らない、何もわからない所からアニメーションを作り上げる、その姿を一番見せたかった人でしたが、ほんのすこしだけ間に合いませんでした。
これがあと2年早ければと思うと、身が裂ける思いです。

後悔先に立たずとは言いますが、これは大きな教訓となりました。
時間がなくなれば、何をなすこともかなわないのだ。そう心に、ひしと残っております。

・なぜアニメーションなのか
よくあることですが、きっかけは一冊の本でした。
「アニメーション監督 原恵一」という本で、ちょっとした自叙伝のような内容でした。
しかし僕はそれを読んでハッとしました。アニメーションというものには幼い頃から親しみを持っていましたし、僕自身も絵を描くことが好きでした。

しかし「アニメーションは工業製品」でした。
こう書くと失礼になりますが、一人が作りたいと思ってもそれは不可能に近いものだと、当時から思っていました。どこか遠くで、特殊な技能をもった人々が集まってつくり上げるもの、そういった固定概念が先行していました。

アニメーターはヒーローでした。
絵を描き、それが動き出すさまは、まさに魔法でした。画面の中に世界が生まれ、人々が夢中になれる時間を作り出すその姿が、僕の夢になっていたのです。

先ほど本を読んでハッとしましたと申しましたが、僕にはその時、アニメーション作品というものがぐっと身近に感じられたのです。全くおかしな話ですが、アニメーションは人間が作っているものだったと理解したのです。
喜怒哀楽をもって、きっと笑い合うことも、ちょっと頭にくることもたくさんあり、そういった有象無象が融け合って、結果としてアニメーションが生まれるのだと感じられたのです。
どこか遠くで作られていると感じていたものが、じつは身近なところにある。そう考えると、面白くて仕方がありませんでした。

だからアニメーションが好きです。
だから何年もかけて取り組もうと考えました。

・アニメを「作る」ということ
僕はもちろん「レイアウト」というものがあることは知っていました。「原画・動画」というものがあることも知っていました。「仕上げ」という工程も、「撮影」という工程も知っていました。
ですがそれぞれをつなぐもの「制作工程」がいったいどのようなものか、全く掴むことができませんでした。

それぞれの工程が「何を」「何のために」作るのか、それがどのように周りへ渡されるのか、そこが不明だったのです。用紙の意味から記号の意味、色分けの意味、そのような基本的な部分が闇に包まれていました。
本を探してみても「アニメを楽しむ」といった趣旨で刊行されているものが殆どで、「アニメを理解する」といった本は実に少ないものでした。
特にデジタル化されたあとの制作について詳しく記したものはほとんど見つけることができませんでした。

今作では「制作工程」もスタジオゴルゴンゾーラの大事な「作品」であると位置づけられていました。
アニメが新作オリジナルであることはもちろんのことですが、それ以上に制作工程もオリジナルなのです。僕はそこにひとつの誇りを持っています。

一人でつくるのであれば、工程は必要ありません。
自分が目指すものに向かってただ制作を進めていけばよいのです。
ですがそれには限界があります。複数人が連携して作業をするには、工程という手続きが必要なのです。

御存知の通りアニメでは何枚もの絵を描いて、画面を作っていきます。もちろんですが、その絵の裏には緻密に構成された設定資料、そしてそれらを取りまとめる決まり事があります。
その決まり事を想像し、試行錯誤し組み立てていくことは、まるでジグゾーパズルを仕上げていくさまに似ていました。しかしそれをやり遂げました。

制作工程が完成すれば、作品は手をかけなくとも出来上がります。
ひとつの流れが出来上がり、なによりも「修正」の手順が形作られたのは大きな効果でした。制作工程が組み上がることで、一定の基準が各工程で出来上がり、長い制作期間を通して作品の品質を維持することが出来ました。
がむしゃらに続けるのではなく、ひとつの手続きとして「修正」が取り込まれたことで、制作が安定したのです。

作品をよく見ていただきますと、カットによっては線が綺麗だったり、逆に細くギザギザしていたりするものがあります。
これは制作工程が後半にかけて完成されていった流れを表しているといえます。制作前半で作られたカットに比べて、後半で作られたカットではよりきれいな仕上がりになっているのです。
これは動画工程・仕上げ工程での主線の扱い、処理の方法が変更になったためです。

もちろんですが手を抜いたわけではありません。全員がその時々で最高のものを作ったという自負がありますし、最高のものにするため、プレス一週間前にもすべてのカットを対象に様々な修正をしています。

制作工程の変化が、作品の制作をはるかに突き放す速度で進んでいった結果とも言えます。本当は完成した制作工程でもって作品に取り組むのが妥当だったのでしょうが、今作では作品の完成にそって制作工程も完成していきました。

制作ノートに書きました制作工程は、アニメに職業として取り組まれている方から見ると、実に違和感のあるものであると感じます。
しかしその違和感が、違いが、僕達の誇りなのです。

「制作工程」と呼ばれているそれは、まさに立派に誇るべき作品なのです。
制作工程を持っているからこそ、次作に取り組めます。次にこういった技術を取り込もう、そういった事ができるのです。
「どうだ、すごいだろ。本当に作ったんだぞ」
森の奥停留場制作ノートにはそういった思いが込められています。

・これからについて
今でも僕はアニメーションは工業製品であると考えています。
だからこそ、どう作るかを必死で考えます。
僕たちは「車」を作るために「工場」を立てました。ようやく破綻なく操業できるようになりましたので、次の車を作ろうと動き始めています。新しい技術を使って、見た人がもっと驚くような作品を作りたい、制作工程を覗いた人が思わず唸るような、そういった制作を目指したいと画策しています。
これに誇りを持って取り組んでいるということは、先ほど申しましたとおりです。

ですが工業製品であるからこそ、もっとそれを身近に感じてほしいと考えています。
「どこか遠いところで、誰か知らない人が、なんかごちゃごちゃして出来上がるもの」
こういった認識でいてほしくないと、幼稚ながら考えています。

ですからこのブログでは、おおよそアニメ制作に関係のない事柄を取り立てて、
記事としています。制作について知ってほしいだけでなく、いったいどういった人がアニメ制作に取り組んでいるのか、どういった日々が作品を生み出しているのか知ってほしいのです。
制作ノートとこのブログが、森の奥停留場の全てであると言えます。
これが現時点でのゴルゴンゾーラであり、森の奥停留場の制作を終えての感想でもあります。

制作工程について、ぜひ森の奥停留場制作ノートをお読みいただければと思います。
本編DVD・制作ノートの再販については現在交渉中ですが、より多くの方々のお手にとって頂けるよう調整しております。
再販が決まりましたらまたお知らせいたします。

最後になりましたが、アニメーションって楽しいですね。
見るのも楽しければ、作ることはもっと楽しいです。
ゴルゴンゾーラは今月末まで「プリプロダクション」にはいります。ブログの更新は週に一度となりますが、また制作が開始する9月には週5の更新になります。

夏バテに気をつけてゆっくり頑張ります。

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